第43回:「三国志」トリックスター列伝!

文:中国エトセトラ編集部

非業の死を遂げた父・孫堅亡き後、その遺志を継いだ孫策。周瑜とともに国を盛り立てていこうと奮闘するが…

小覇王と称えられた孫策の人生は、わすか26年で幕を閉じる。果たして、彼は于吉の幻に殺されたのだろうか…?

絶大なる権力を有した魏王ゆえ、憎まれやすかったからなのか、曹操には仙人のようなトリックスターをめぐるエピソードが付きまとう

武将たちが力でぶつかり合い、策士の智謀が火花を散らす『三国志』の表舞台。その蔭に、あやしくうごめく人々がいる。時はまさに世紀末。孫策を呪い殺し、曹操を掌の上で弄び、劉備の漢中侵攻を予言する異能者は実在したのか? その実像にせまる。

于吉(う きつ 生年不詳~200年)

 ロウ(王+良)邪出身の道士で、道教の教典を説くかたわら、護符や聖水で治療を行ったといわれる。呉や会稽一帯の庶民や豪族たちの中には、于吉を信仰する者が多かった。あるとき、孫策は門楼で宴会を開いたが、たまたまそこを于吉が通りかかり、客や部将たちの三分の二までがあたふたと門を降りて于吉を礼拝するありさまだった。これに腹を立てた孫策は、君主の権威に挑戦する者として、于吉を斬り殺した。『三国志演義』(以下、『演義』)では、孫策は于吉を殺したあと、その幻を見るようになり、やがて全身の傷口から出血して非業の死を遂げるのである。

左慈(さじ 生没年不詳)

 廬江の方士で、『演義』では曹操のもとに姿を現し、みかんの果肉だけを消し去ったり、絵から本物の鱸を釣り上げたりと不思議な技を見せる。曹操は左慈を捕らえようと、許チョ(衣へん+者)に後を追わせるが、左慈は羊に身を変えたり、逆に数百人がみな左慈と同じ顔になったりして、ついに処刑することができない。左慈に翻弄された曹操は、ついに重い病の床についてしまう。『後漢書』には、このシーンの元ネタとおぼしき逸話が記されており、曹操の前で数々のイリュージョンを見せる左慈の姿が描かれる。正史によれば、左慈は房中術にすぐれた方士であり、軍の役人に登用されていた。左慈の術は有名だったらしく、『三国志』には、宦官まで房中術に夢中になったという笑い話が載っている。

郤倹(げきけん 生没年不詳) ・甘始(かんし 生没年不詳)

 この二人も、曹操に招かれた異能者である。郤倹は潁川の出身で、穀断ち(一種の絶食)を得意とし、茯苓だけで何日も過ごすことが出来た。曹植はその真偽を確かめるため、郤倹に穀断ちをさせて観察したが、衰弱する様子もなかった。曹植は、「不老長寿かどうかは判らないが、少なくとも飢餓の際には役に立つ」と冷静な感想を述べている。また、甘始は呼吸術による健康法を身につけており、老年になっても若々しい血色をしていた。彼らが曹操のもとにやってくると、都ではその方術が大流行し、茯苓の値段ははねあがり、人々はあらそって健康体操に精を出した。しかし、熱中しすぎて下痢で死にかけたり、中途半端な呼吸法で窒息する者もいたらしい。

管ロ〔車+各〕(かんろ 生没年不詳)

 平原の出身で、卜筮の達人。子供のころから天文を見ることを好み、魏の末年に占い師として活躍した。『演義』にも登場するが、そのエピソードは正史の『三国志』に記される逸話のほんの一部を借用したもの。しかも管ロの守備範囲は、人相見、夢判断、透視、失せ物探しに未来予知と、ほとんど超能力者の域である。中でも「射覆」と呼ばれた透視術についての記述では、中の物体を完全に言い当てるのではなく、おおまかな形状や色から実体にせまり、時にははずしているあたり、かえって信憑性があり不気味である。百人以上の人間の寿命を言い当てた管ロは、最後に自分の死期を予言し、その通りに没したという。

 正史の『後漢書』や『三国志』のほかにも、三国時代から晋にかけての不思議な逸話をあつめた書物『捜神記』には、多くの異能者や怪奇現象が記されている。明日をも知れない乱世にあって、人々は、占いや健康法、超魔術などの不思議な能力に一喜一憂し、時にはその力に頼って生きようとしたのだろう。