第37回:悪事の限りを尽くした「三国志」名悪役を大特集!!

文:中国エトセトラ編集部

狡猾にして冷酷無比。暴政の限りを尽くし群雄割拠を推し進める要因になった董卓。「三国志」序盤の悪役として、すっかり定着してしまった印象がある


その武勇伝からファンの多い呂布。だが、2度も義父を殺すという横暴さ、先を読まずに横暴に走ってしまうさまは、やはり悪の部類に入ってしまうか…


度量の狭さ、他人への妬み、民への圧政など、こうした良からぬ要因で半ば自滅の道を歩んだ袁術。どうしても、小ざかしい悪役という印象が残る。


赤壁の戦いでは、曹操に組し水軍都督を任された蔡瑁。だが、周瑜の策により敵の内通者とされ、曹操に処刑されてしまう



一騎当千の勇将から知略に長けた名軍師まで、数多の英傑が登場する「三国志」。だが、この物語を語るには、英雄たちを引き立てる悪役の存在も忘れてはならない。彼らの振る舞いが悪逆非道であればあるほど、物語はよりドラマチックなものとなり、名将たちの活躍も一際目立つようになるのだ。そこで今回は、三国時代に綺羅星のごとく現れ、悪事の限りを尽くした名悪役たちをご紹介したい。

◆董卓(とうたく) ???~192年

もとは中国北西部の役人で、後漢末期に大将軍・何進(かしん)の要請を受けて宮廷入りを果たした。宦官や貴族たちが権力争いに明け暮れ、実質的なトップが不在であることを見抜いた董卓は、武力にものを言わせて瞬く間に政治の実権を握ってしまう。その後、敵対勢力を次々に潰して、逆らう者がいなくなると、歴代皇帝の陵墓を暴いて宝物を奪い取ったり、都に住む富豪たちを無実の罪で処刑して財産を没収したりと、横暴の限りを尽くすようになる。だが、そんな暴政を嘆いた後漢の忠臣・王允(おういん)に「美女連環の計」を仕掛けられ、最後は養子に迎えた呂布に斬殺されてしまう。

◆呂布(りょふ) ???~198年

若い頃より武勇で名を馳せ、群雄・丁原(ていげん)に養子として迎え入れられる。だが、丁原のライバル・董卓に謀反を持ちかけられると、あっさりとこの誘いに乗り養父を殺害。そのまま董卓の養子となって、彼の恐怖政治を武力で支えるも、王允の仕掛けた罠にハマり2人目の養父も自らの手で斬殺してしまう。宮廷に居場所をなくした呂布は、都を離れ、親交のあった群雄の元に身を寄せようとする。だが2度に渡り主君を裏切ったことから、どこに行っても警戒されるようになり、ついに曹操との戦いに敗れ処刑されてしまう。

◆袁術(えんじゅつ) ???~199年

反董卓連合の一角として台頭した群雄。だが、味方である孫堅の活躍を妬んで、兵糧の出し惜しみをしたり、兄・袁紹(えんしょう)の出世を妨害するため裏工作を仕掛けたりと、連合結成時より器量の狭さが目立つ人物であった。その後、袁紹や曹操と対立するようになるが、度重なる軍事遠征と重税により、国力はみるみるうちに衰退し、ついには同盟を結んでいた呂布や配下の孫策にも見限られてしまう。さらに、自暴自棄になった袁術は皇帝を自称して"仲"王朝を創立するが、もはやついてくる民はなく、曹操との戦いに敗れた後、自身の人望のなさを嘆きながら絶命したと言われている。

◆孫皓(そんこう) 242年~284年

呉の第4代皇帝。幼少の頃よりその才知は周囲から絶賛され、皇帝に即位してからしばらくの間は善政を布き、万民に慕われた。だが、ほどなくして酒色に溺れるようになり、宮殿の造営や大規模な軍事遠征を幾度となく繰り返すようになる。また、宴会の席では家臣たちに酔い潰れるまで酒を飲ませ、少しでも失態を犯した者には、顔の皮を剥いだり目を抉ったりと凄惨な刑罰を与えた。さらに、気に入らない者がいれば即座に殺してしまい、その死体を宮廷内に引いた川に流して楽しんだという。こうして優秀な家臣を次々に失い、民心も離れてしまったところを晋に攻め込まれ、280年、ついに呉は滅亡を迎えてしまう。

まだまだいる!「三国志」に登場する小悪党たち

◆糜芳(びほう) 生没年不詳/士仁(しじん) 生没年不詳

劉備軍の武将として関羽と共に荊州の防衛を任されていたが、両者と関羽は折り合いが悪く、戦いにおいても決して前線に出ようとしなかった。そんな折に、城内で失火事件を起こしてしまい、糜芳たちは関羽から厳しく叱責される。これを恨んだ2人は呉に内通し、孫権配下の呂蒙(りょもう)と手を組んで関羽を謀殺してしまう。

◆蔡瑁(さいぼう) 生没年不詳

荊州を治める劉表(りゅうひょう)に側近として重用される。だが後継者選びの際、長男の劉琦(りゅうき)を差し置いて、自分たちの言いなりになる弟の劉琮(りゅうそう)を推挙し、その後継を実現させた。「三国志演義」では、その非を問い質しにきた劉備や劉琦を暗殺しようと企むなど、悪役としての見せ場が大幅に増加されている。

◆楊儀(ようぎ) ???~235年

北伐の際、諸葛亮の補佐役として活躍した武将。だが、自らの才能を鼻にかけるところがあり、剛勇で知られる魏延(ぎえん)とは犬猿の仲であった。諸葛亮の没後、策を弄して魏延を処刑することに成功するが、自身の器量の狭さも露呈してしまい、以後、要職を任されることは一度もなかったという。

このように「三国志」には、スケールの大きな暴君から目先の利益にとらわれた小悪党まで、実にさまざまな悪役が登場し物語を盛り上げている。そんな悪役たちの視点からストーリーを追えば、今まで気づかなかった「三国志」の新たな魅力が発見できるかもしれない。