周(しゅう)
紀元前1046年頃~前256年
始祖・文王(ぶんおう)、初代・武王(ぶおう)によって、暴虐の限りを尽くしていた殷(いん)王朝を滅ぼし建国される。武王没後も名摂政・周公旦(しゅうこうたん)らの尽力によって善政が敷かれた。青銅器製農具を用いることで農作物の生産力を高めることに成功、それに併せて人口、国土も拡大していった。3代・康王(こうおう)の時代まで隆盛であったが、徐々に衰退しはじめ、紀元前771年、申(しん)に攻め込まれ東の成周へ遷都。その後も権力争いで国力は弱まり、紀元前256年、ついに秦(しん)によって滅ぼされてしまう。ちなみに、中国において「西遊記」「三国志演義」に次ぐ人気を誇る小説「封神演義」は、武王の活躍した時代を背景に描かれている。

関連ドラマ作品:『封神演義』『封神演義 逆襲の妲己』

春秋(しゅんじゅう)
紀元前770年~前403年
国力が低下した周(しゅう)に代わり、周辺の諸国が覇権をめぐって争った時代をさす。多くの国が台頭してきたものの、長引く戦乱に乗じて各国の下級貴族たちが勃興。次第に国家内での勢力争いが繰り広げられるようになる。やがて魏(ぎ)、韓(かん)、趙(ちょう)などの国々が力をつけはじめ、長江流域で興った呉(ご)や越(えつ)も覇権争い加わり、戦乱はますます激しさを増すことになる。この頃は、礼儀と徳に基づいた秩序を重んじる儒教の始祖・孔子(こうし)や、軍略や政略など、戦争行為そのものについて考える兵法を編み出した孫子(そんし)など、後の中国の思想や哲学に多大な影響を与えた「諸子百家」と呼ばれる学者や学派が多数現れた時代でもある。

関連ドラマ作品:『恕の人 -孔子伝-』『孫子兵法』『復讐の春秋 -臥薪嘗胆-』


戦国・秦(せんごく・しん)
紀元前403年~前206年
晋(しん)から独立した魏(ぎ)が勢力拡大に乗り出すも、豊かな国力を持つ斉(せい)がこれを圧倒。さらに徹底した法治体制によって生産力、軍事力を高めた秦(しん)も台頭し、二強国時代が出来上がる。その後、これに反感を持つ魏、燕(えん)、趙(ちょう)、韓(かん)、楚(そ)の五ヶ国連合軍に、斉が攻め込まれ大敗を期する。この機に乗じ、秦は他国へ苛烈な攻撃を開始。800年近く続いた周(しゅう)をはじめ大国を次々と滅ぼしてゆき、紀元前221年、始皇帝(しこうてい)の代で中国史上初の統一王朝を樹立させる。モノを計る単位や文字の統一、万里の長城建設など数々の偉業を成したものの、始皇帝没後、急速に政治が乱れ各地で反乱が勃発。紀元前206年に滅亡を迎える。

関連ドラマ作品:『大秦帝国』

前漢(ぜんかん)
紀元前206年~西暦8年
秦(しん)の滅亡後、反乱軍を率いた楚(そ)の項羽(こうう)と、その配下であった劉邦(りゅうほう)が対立。戦に勝利した劉邦が皇帝に即位し興した王朝である。司馬遼太郎による小説「項羽と劉邦」をはじめ、横山光輝、本宮ひろ志らの漫画など、この戦いを描いた書籍は多く、日本でもなじみの深い時代である。政策面では、北方や西域の遊牧民族と対峙し、後にシルクロードの分岐点として栄える大都市・敦煌(とんこう)を支配下に置くことに成功する。また善政が敷かれ、一時的に疲弊した国力の回復にも成功するが、度重なる軍事行動により次第に財政は悪化。さらに宦官・外戚らの台頭も目立つようになり、ついに臣下に政権を奪われてしまうことに。

関連ドラマ作品:『劉邦の大風歌 -漢建国記-』


後漢(ごかん)
25年~220年
皇后の親族によって一時的に政権を簒奪された漢王朝だったが、25年に光武帝(こうぶてい)が、後漢として再興を果たすことに成功する。だが、その没後は再び宦官らが権力を牛耳るようになり、賄賂政治が横行し出す。また、地方で力を備え始めた豪族や外戚と、皇帝の側近として権力を振るう宦官の対立が深刻なものとなって「党錮の禁」と呼ばれる弾圧事件が起こり、朝廷の権威は急速に失われていくこととなる。やがて貧困に喘ぐ民衆が各地で反乱を起こすようになり、曹操(そうそう)や劉備(りゅうび)らが覇権を争う戦乱の時代へと突入していく。漢はその後も数十年存続するが、もはや権力者たちにいいように扱われるだけの傀儡政権でしかなかった。

関連ドラマ作品:『シルクロード英雄伝』『三国志 Three Kingdoms』

三国(さんごく)
220年~280年
後漢(ごかん)末期、宦官・外戚らの権力争いを利用して地方官・董卓(とうたく)が台頭。朝廷を牛耳り暴虐の限りを尽くす。各地の豪族は連合軍を組織しこれに反発する。やがて臣下の裏切りにより董卓は殺され、曹操(そうそう)、劉備(りゅうび)、孫権(そんけん)ら諸将がそれぞれ魏(ぎ)、蜀(しょく)、呉(ご)を興し勢力を拡大していく。三国は互いに牽制し合い覇権を争うが、漢より帝位を譲り受けた魏が一歩抜きん出ることに成功する。しかし国内でクーデターが起こり、司馬炎(しばえん)が権力を掌握。蜀を滅ぼしたあと、新たに西晋(しん)を興して呉を攻め滅ぼし、三国統一を果たした。ちなみに、この頃の日本は倭(わ)と呼ばれており、邪馬台国の女王・卑弥呼もこの時代の人物である。

関連ドラマ作品:『三国志 Three Kingdoms』

晋・五胡十六国(しん・ごこじゅうろっこく)
265年~439年
三国時代末期、魏(ぎ)の臣下・司馬懿(しばい)がクーデターを起こし政権を簒奪。その孫の司馬炎(しばえん)が帝位を授かり興した王朝が晋である。建国後、敵対勢力を攻め滅ぼし全土の統一を実現。しかし、内政を怠ったため国力は乱れ、各地で反乱が勃発。都は陥落し、皇族は江南に亡命。東晋(とうしん)と名を改め420年まで存続することとなる。一方、華北では晋の衰退に伴い、諸勢力が乱立する五胡十六国時代に突入。戦乱が続いた後、北魏(ほくぎ)が諸国の統一を果たす。この頃から南北朝時代にかけては、仏教が中国に普及した時代でもあった。世界遺産である敦煌の仏教遺跡・莫高窟(ばっこうくつ)は、この時代から掘削がはじまったと伝えられている。

関連ドラマ作品:『敦煌 -シルクロードの真珠-』

南北朝(なんぼくちょう)
439年~589年
中国の南北に王朝が同時に存在していた時期をさす。東晋(とうしん)から帝位を譲り受けた宋(そう)は華南を中心に政治を敷くが、貴族らの権力争いにより国力は衰退。代わっていくつもの王朝が興るものの、どれも短命に終わる。一方の華北では、北魏(ほくぎ)が統一を果たすが、その後も内紛による分裂、新興国による再統一が繰り返されることに。最終的に、華北に興った隋(ずい)が華南に攻め込み、全土の統一に成功する。この時代は、後の中国経済の中心地となる江南地方の開発が行なわれるなど、文化・経済の面では重要な時期でもあった。また、盛んに学ばれていた儒教に加え、玄学や仏教といった新しい思想が広まったことも特記すべき点である。

関連ドラマ作品:『北魏馮太后』『後宮の涙』


隋・唐(ずい・とう)
581年~907年
長い戦乱の時代を経て全土の統一を果たした隋だったが、運河開発や度重なる遠征により国力は衰退。臣下の李淵(りえん)が帝位を授かり618年に唐を建国する。一時期、中国史上唯一の女帝・武則天(ぶそくてん)の即位によって国が断絶するものの、失脚後すぐに王朝は復活する。その後、6代皇帝・玄宗(げんそう)の時代には中央アジアにまで領土を広げるほどの隆盛を極めた。しかし"傾国の美女"と称される楊貴妃を妃にして以降、政治を省みなくなり国内では反乱が多発し始める。次第に国力は衰退してゆき、907年、ついに地方自治官の朱全忠(しゅぜんちゅう)に帝位を奪われ滅亡してしまう。ちなみに、日本から「遣唐使」が送られていたのはこの時代である。

関連ドラマ作品:『二人の王女』

北宋(ほくそう)
960年~1127年
唐(とう)の滅亡後、五代十国時代(ごだいじっこくじだい)と呼ばれる戦乱の時代を経て宋王朝が樹立、全土の再統一を実現する。それまでの王朝と違い、遼(りょう)や西夏(せいか)などの他国と友好的な外交を行なった。結果、海運技術の発達や米と麦の二毛作の普及など、経済面では飛躍的な発展を遂げた。さらに文化面では水墨画や山水画も勃興した。ちなみに、敦煌文献と呼ばれる大量の経典や写本が莫高窟の壁の中に隠されたのは、敦煌が西夏に支配されていたこの時代であったのではないかと言われている。後に新興の金(きん)に攻め込まれ滅亡するものの、南宋(なんそう)と名乗り再興を果たす。それと区別して、この時代は北宋(ほくそう)とも呼ばれている。

関連ドラマ作品:『大敦煌-西夏来襲-』


南宋(なんそう)
1127年~1279年
新興国家の金(きん)によって北宋(ほくそう)が滅ぼされた後、南京に逃れた皇族たちが新たな皇帝を擁立し再興した王朝が南宋である。この後、近隣諸国の遼(りょう)、西夏(せいか)、それに金も加えた四ヵ国間での睨み合いが長らく続くことになる。そこに台頭してきたのが、モンゴル高原の遊牧国家を中心に、大陸全域に領土を広げようとするチンギス・カン率いるモンゴル帝国である。その軍事力の前に周辺諸国は次々と滅亡、もしくは傘下に組み込まれていく。南宋も抗戦、及び和睦を繰り返しながら巻き返しを図るものの、1979年、5代皇帝・クビライによって滅ぼされてしまう。ちなみに日本との交易は盛んに行なわれ、禅宗が伝わったのもこの時代である。

元(げん)
1271年~1368年
モンゴル帝国を築いたチンギス・カンの孫にして、5代・皇帝であるクビライにより南宋(なんそう)を攻め滅ぼし建国。中国北部の大都(後の北京)に、中国王朝としては初めて都を移し、元朝を築いた。この大都は、政治・経済の拠点となり、西方諸国との交易も盛んに行なわれた。また南方への侵攻も続行され、文永・弘安の役で知られるように、日本への侵攻は失敗に終わったものの、その領土拡大は目を見張るものがあった。だがクビライの死後、後継者争いや漢民族の反発が激化。中でも白蓮教徒による紅巾の乱に大打撃を受け、モンゴルへの撤退を余儀なくされる。後に、その指導者の一人・朱元璋(しゅげんしょう)が台頭し、明(みん)を建国する。

関連ドラマ作品:『-大明帝国- 朱元璋』

明(みん)
1368年~1644年
紅巾軍の朱元璋(しゅげんしょう)が、長江流域を統一し明を建国。元(げん)を北方に追いやり、全土の再統一を果たす。積極的な外交で広く交易の手を伸ばしていたが、内政に関しては徹底した恐怖政治を行なった。その結果、宮廷の権威は失墜し、郷紳と呼ばれる地方官僚が力を付けていくことに。さらに北方諸国や倭寇と呼ばれる海賊の襲撃で国力は低下し、1644年、反乱勢力によって攻め滅ぼされてしまう。政治の面では暗い時代であったが、この頃は大衆文化が花開いた時期でもあり、「三国志演義」「水滸伝」などの小説や、景徳鎮産に代表される陶磁器、さらに陽明学と呼ばれる思想など、今に名を残す文化の数々が生まれたことも忘れてはならない。

関連ドラマ作品:『王の後宮』『-大明帝国- 朱元璋』


清(しん)
1644年~1912年
明(みん)朝末期、その支配に対抗すべく女真(満州)族を統一したヌルハチが反旗を翻し、1616年に金(きん)を建国。その子・ホンタイジが国名を清(しん)と改名した後、明朝の残党を一掃し、国政を執ることになる。少数民族でありながら、圧倒的多数の漢民族を巧みな行政裁量で支配し、長らく安定した時期を迎えることに成功する。だが、19世紀に入ると財政的に陰りが見え始め、外交問題で諸外国と幾度となく衝突することに。特に、惨敗を期し不平等な条約を突きつけられた、イギリストとのアヘン戦争や日本との日清戦争などは有名。その弱体化した国力が晒され、やがて滅亡の一途を辿った清国の末路は、映画「ラストエンペラー」('87)でも描かれている。

関連ドラマ作品:『大敦煌 -異国介入-』

中華民国(ちゅうかみんこく)
1912年~1949年
清(しん)朝打倒を唱える辛亥革命が1911年に勃発し、翌年、革命のリーダー・孫文(そんぶん)を臨時大総統とする初の共和制国家・中華民国として成立する。"中国革命の父"と言われる孫文は、宣統帝・愛新覚羅 溥儀(せんとうてい・あいしんかくら ふぎ)の退位と引き換えに、清の実力者・袁世凱(えんせいがい)に大総統の座をゆずるも、国内は依然として混乱状態が続いた。その後、孫文の後継者である蒋介石(しょうかいせき)率いる中国国民党が日本と対立。日中戦争を皮切りに、中華民国は第二次世界大戦へと巻き込まれていく。一方で、大戦前から続く中国共産党との内戦に敗れ、首都・南京を制圧された蒋介石は、その統治の地を台湾へと移した。

関連ドラマ作品:『大敦煌 -秘宝奪還-』『末代皇妃 -紫禁城の落日-』

中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく)
1949年~
第二次世界大戦終戦後、中華民国(ちゅうかみんこく)は戦勝国の一国として、国際的な地位を回復する。その一方で、蒋介石(しょうかいせき)率いる中国国民党(中華民国国軍)との内戦に勝利した中国共産党の毛沢東(もうたくとう)が、1949年、中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく)の建国を宣言する。その後、文化大革命における混乱を経て、鄧小平(とうしょうへい)が実権を掌握。市場経済化を推進させ、急激な成長を遂げたのは周知のとおり。2008年北京にてオリンピックが開催され、2010年には上海万博も開催された。