第27回:信念を持って善政に取り組んだ、いぶし銀の魅力を放つ名臣たちを大特集!

文:中国エトセトラ編集部

信念を貫いた官僚・海瑞の生きざまを堪能することが出来る「大明王朝 ~嘉靖帝と海瑞~」

朱元璋から数えて12代目に当たる嘉靖帝の時代が物語の舞台

国力の低下が進む明王朝を救うことは出来るのか!?

貧困に喘ぐ民のためなら、上司であっても叱責する海瑞

明王朝の創始者・朱元璋の生涯を描いた「大明帝国 朱元璋」

ただいま発売中の中華歴史ドラマ列伝シリーズ「大明王朝 ~嘉靖帝と海瑞~」は、明の時代、腐敗しきった宮廷内で政治を立て直すべく尽力した官僚・海瑞(かいずい)の生きざまを重厚なタッチで描いた歴史大作。そこで今回は、本作の主人公・海瑞にちなみ、各時代の王朝で、善政に心を砕いた官僚たちをご紹介していきたいと思います。彼らの"いぶし銀"の活躍ぶりを知れば、ドラマシリーズはもちろん中華歴史そのものも、より一層楽しめるはず!

管仲(かんちゅう) ??~紀元前645年

春秋時代の一国・斉の桓公に仕えた政治家で、中国では古くから名宰相の代名詞のように伝えられてきた管仲。桓公が公子であったころは、対立する公子の糾(きゅう)に仕え、桓公の命を狙ったこともある。しかし、桓公が即位すると親友の鮑叔(ほうしゅく)の強い推薦によって国政に参加することに。軍制を整え、重商主義的政策を採用することで富国強兵をおし進め、内乱をきわめた斉を強大な軍事大国に変身させた。また、東部や中原の諸王との盟約を実現して、南方の大国・楚に対抗するなど、優れた外交手腕も見せている。管仲の働きにより、桓公は春秋五覇の第一として名を馳せた。

桑弘洋(そうこうよう) 紀元前152年~紀元前80年

洛陽の商人の子として生まれた桑弘洋は、前漢の武帝と昭帝に仕えた財務官僚。幼い頃から数学の才能を発揮し、わずか13才で宮廷入りを果たした。その後、財政担当官の推薦によって官職に就き、塩鉄の専売、均輸・平準など、次々に新たな経済政策を打ち出してゆく。それは、朝廷の財政難を解決し、全国の物価を平均的に調整する画期的な政策であったが、利潤を奪われた地主階層出身の官僚からは猛烈な反発を受けた。武帝の死後、桑弘洋は、外戚であった大将軍・霍光(かくこう)と対立し、謀反に加担したとして殺される。

房玄齢(ぼうげんれい) 578年~648年

唐の時代を代表する功臣として知られる房玄齢は、早くから太宗・李世民に仕え、その参謀として唐の創業を支えた。太宗が即位すると宰相となり、戦乱によって荒廃した国土と民心を安定させ、杜如晦(とじょかい)、魏徴(ぎちょう)と協力して"貞観の治"と呼ばれる黄金時代を築いた。房玄齢は功績を独占することなく、人材の登用と育成にも力を入れた。将来の政権の安定を視野に入れていたのである。15年間宰相を務めたのち、自己の権力があまりにも強大になることを案じて辞職したが、71才で死去するまで李世民の信頼を失うことなく、厚遇された。

王安石(おうあんせき) 1021年~1086年

北宋の神宗に登用され、その政治顧問として政治改革を行った官僚である王安石。地方官としての下積みの後、48才で中央官僚となり、経済安定、軍事強化のために"王安石の新法"と呼ばれる大改革を行った。彼の改革は、財政収入を確保するとともに、農民の生活を安定させて国益をはかるものだったが、利潤を奪われた大商人や地主の利益を代表する皇族・高級官僚ら「旧法」派から激しい攻撃をうけ、神宗の死後に失脚する。王安石の死後も、新法と旧法の党派対立は続き、結果的に北宋の国力を弱めたと言われている。

海瑞(かいずい) 1514年~1587年

明の嘉靖帝(かせいてい)・隆慶帝(りゅうけいてい)・万暦帝(ばんれきてい)3代に仕えた政治家で、剛直かつ清廉潔白な人柄で知られる。政治をないがしろにしていた嘉靖帝を諌めたため、その逆鱗に触れて投獄されるものの、そののち隆慶帝によって復職。だが今度は、時の権力者・張居正(ちょうきょせい)に嫌われて冷遇された。張居正の死後、万暦帝に信任されて要職を務めるが、その提言が採用されることはなかった。しかし、海瑞の人柄は庶民に愛され、その死が伝わると多くの者が嘆き悲しんだという。1960年代、その生涯を描いた小説「海瑞罷官」が毛沢東を批判しているとして攻撃され、この作品は文化大革命の発端となった。


戦場で縦横無尽に活躍する武将たちと異なり、官僚である彼らの仕事ぶりは、どちらかといえば地味に見えます。ですが、君主に対する忠誠はもとより、国を思って信念を貫いたその生きざまには独特の味わいがあります。発売中の中華歴史ドラマ列伝シリーズも、彼らの視点から物語を追うことで、また違った楽しみ方が出来るかもしれませんね。