第38回:熱い物語に一服の清涼剤。「三国志」で活躍する美女たちにクローズアップ!

文:中国エトセトラ編集部

剣技にも精通し氏、明るくたくましい女性として描かれることの多い孫夫人(孫小妹)。

大喬・小喬姉妹の妹・小喬。『レッドクリフ~』で知名度を一気に上げた感がある。

こちらが大喬・小喬姉妹の姉・大喬。妹に負けず劣らずノ美女であったとされる。

美女連環の計の“美女”として知られる貂蝉。呂布の妾として以降の描写は決して幸せなものとは言えず…。

数多の英傑が武勇と知略をぶつけ合い、壮絶な戦いを繰り広げる『三国志 Three Kingdoms』。とはいえ熱いバトルばかりが続くと、たまには一服の清涼剤も欲しくなるもの。そこで今回は『三国志』に登場する美女たちを、代表的なエピソードを添えてご紹介。彼女たちの生きざまを知ることで、物語そのものもより一層楽しめるようになるはずです!

◆鄒氏 ???~197年 《魏》

董卓の家臣・張済(ちょうさい)の妻だったが、夫の死後は甥・張繍(ちょうしゅう)の元に身をよせていた。"絶世の美女"としてその名は広く知られており、張繍が曹操に敗れ降伏した後は、曹操の側妾として仕えるようになる。だが、このことに激怒した張繍が突如反乱を起こしたため、曹操は撤退を余儀なくされる。結果、この敗北で曹操は、長男の曹昂(そうこう)や側近・典韋(てんい)といった優秀な人材を一度に失ってしまう。

◆甄氏 ???~221年 《魏》

高官の家に生まれ、袁紹の次男・袁煕(えんき)に嫁ぐ。だが、袁紹と曹操が争った際、戦いに参加していた曹丕(曹操の嫡男であり、後の魏・初代皇帝)に身初められ、戦後、妻として迎え入れられる。曹丕の寵愛を受けて、息子の曹叡(後の魏・二代皇帝)らを生むものの、次第にその愛情は薄れていき、つい口にした恨み言が逆鱗に触れ、自殺を命じられてしまう。曹叡の代にその名誉は回復され、甄氏の一族は列侯として取り立てられた。

◆大喬・小喬 生没年不詳 《呉》

後漢の政治家・橋玄(きょうげん)の娘であり、"江東の二喬"と称される美人姉妹。孫策が荊州を攻略した際、姉妹そろって捕虜となるものの、やがて姉の大喬が孫策の、妹の小喬が周瑜の妻となる。ちなみに曹操も、そんな姉妹の美しさに惹かれていて、よく「2人を私の側にはべらせたいものだ」と口にしていたという。それを聞いた周瑜は激怒し、赤壁の地で曹操軍と対峙する事を決意したと言われている。

◆孫夫人(ドラマでは孫小妹) 生没年不詳 《呉》

  孫権の妹。京劇で使われている孫尚香(そんしょうこう)の呼び名でも知られる。明朗快活で武芸にも秀でており、常に武装した侍女を引き連れて行動していた。政略結婚により、20歳以上も年の離れた劉備のもとに嫁ぐが、夫婦仲は円満だったという(逆に険悪だったという説もあり)。だが数年後、劉備と孫権の関係が悪化したため、呉への帰国を余儀なくされる。やがて劉備の死を聞かされた彼女は、絶望のあまり長江に身を投げたと伝えられている。

◆黄月英 生没年不詳 《蜀》

諸葛亮の妻。赤毛に色黒の肌で、周囲からは「孔明の嫁選びを真似するな。承さん(月英の父・黄承彦)のところの、醜い娘をもらうハメになるぞ」とからかわれていた。だが、その容姿については諸説あり、西域から渡来したインド系の美女であったとも、世間の目を欺くために顔に墨を塗って、醜女のふりをしていただけとも言われている。また、孔明と肩を並べるほどの才知を有し、木牛流馬をはじめ、数々の発明品を生み出した。

◆敬哀皇后 ???~237年 《蜀》

張飛の娘であり、蜀の二代皇帝・劉禅の皇后。史実では彼女の死後、妹が皇后に取り立てられており、『三国志演義』では2人を混同して、"張皇后"という一人の女性として描かれている。ちなみに彼女の母親は魏の名将・夏侯淵の姪であり、後年、国内での権力争いに敗れた夏侯淵の長男・夏侯覇は、この縁を頼って蜀に亡命したと言われている。

◆貂蝉 ※架空の人物

『三国志演義』に登場する、後漢の忠臣・王允(おういん)の養女。"美女連環の計"を仕掛け、呂布に董卓を討ち取らせることに成功する。その後は呂布の妾となり行動を共にするが、呂布の死後、表舞台から姿を消してしまう。京劇や小説など、作品ごとに描かれ方はさまざまで、「"美女連環の計"を遂げた直後に自害した」というパターンも存在する。


今回の女性たちは『三国志 Three Kingdoms』以外にも、さまざまな小説やゲーム、コミックなどで活躍しています。「『三国志』には興味があるけど、むさ苦しい男だらけの物語はちょっと...」と二の足を踏んでいた方は、彼女らを中心に描いた作品から『三国志』の世界に入門してみてはいかがでしょう? 気づいた頃には、物語の世界観にどっぷり浸かっているかもしれませんよ!!