第22回:時の皇帝も顔負け!"権力"を手中に収めた女傑たちを大紹介!!

文:中国エトセトラ編集部

「クィーンズ -長安、後宮の乱-」

劇中では、数奇な運命を辿った王政君の生涯がドラマチックに描かれる

煌びやかな装飾の数々も、本作の見どころの一つと言える

王政君のライバル・傅瑶(ふよう) 。女たちの熾烈な戦いからは目が離せない!

「末代皇妃 ~紫禁城の落日~」

ただいま発売中の「クィーンズ -長安、後宮の乱-」は、前漢時代の後宮を舞台に"皇后"の座をめぐって2人の女性が熾烈な争いを繰り広げるさまを描いた歴史ドラマ。 しかし長い歴史を誇る中国宮廷には、このドラマで描かれた時代以外にも、さまざまな女同士の戦いが繰り広げられてきました。そこで今回は、本作の主人公である王政君を筆頭に、権力を手にするべく壮絶な生涯を送った各時代の女性たちを、有名なエピソードと共にご紹介していきたいと思います。

王政君(おうせいくん) 紀元前71~13

まずは、ドラマの主役でもある王政君。彼女こそ、まさしく後宮に生きることを天に定められたような運命の女性です。史実では、陽平侯・王禁(おうきん)の娘として生まれた王政君。彼女には将来を誓った許婚がいたましたが、結婚前にその婚約者が突然亡くなってしまいます。良家の子女として婚期を逸してしまった彼女は、次に東平王の妾姫にと望まれますが、またしても輿入れ前に相手が頓死。不思議に思った父の王禁が、娘の運勢を占わせてみたところ「王政君は、言葉に尽くせぬほど貴い人生を歩む!」との結果が出たそうです。そこで王禁は、王政君にあらゆる学問と芸事を習わせ、18才になったときに宮中に献上したと伝えられています。
そのころ宮廷内では、時の皇帝・宣帝が、皇太子である劉奭(りゅうせき)を廃嫡するという噂が飛び交っていました。その理由は、劉奭が最愛の妾姫・司馬良娣(しばりょうてい)を亡くしたショックから、十数人いた側妾を全員遠ざけ、世継ぎを作ろうとしなかったからだと言われています。(司馬良娣が死の間際に「側妾たちの誰かが、私を呪詛しています」と告げたため、劉奭は側妾たちを憎悪していたとも伝えられています)
事態を重く見た重臣たちは、劉奭に跡継ぎをもうけさせるため、宮中から5人の美女を選出します。その中の一人が王政君だったのです。劉奭のもとに呼び出された彼女は、誰よりも目立つ衣裳を身に付け、劉奭のもっとも近くの席に座って自分をアピールしました。女性への関心が薄れつつあった劉奭は、王政君の勢いに乗せられる形で一夜を共にすることに。こうして彼女が無事に跡継ぎを身ごもったことで、劉奭の廃嫡の話はなくなり、王政君は晴れて皇太后の地位を得るに至ったのです。

独孤皇后(どっここうごう) 544もしくは553~602

やがて漢王朝は滅び、三国時代から魏晋南北朝へと戦乱の時代が続きます。400年におよぶ分裂に終止符を打ったのは、北方の騎馬民族鮮卑氏の王朝である隋でした。その初代皇帝・文帝の妻、独孤皇后は、当時としては独特の価値観をもった女性と言えるでしょう。彼女は結婚する時、夫である文帝に「他の女性との間に子をつくらない」という誓約をさせたことで有名です。そして、文帝がその約束を破った際は相手の側妾のもとまで押しかけ、これを殺害してしまったとか。その知らせを聞いた文帝は、ショックのあまり政務を放り出して、宮廷を飛び出してしまったと伝えられています。なんだか情けないイメージの皇帝ではありますが、裏を返せば、それだけ独孤皇后の気迫が凄まじかったのだと言えるでしょう。

武則天(ぶそくてん) 624~705

しかし、その隋をほろぼした唐には、もっと凄い女傑がいました。中国歴史上、女性で唯一皇帝となった武照(ぶしょう)=武則天です。彼女はもともと2代皇帝・太宗の側妾でしたが、太宗の死後にはなんと、息子である高宗の側妾となったのです。
当時、高宗の後宮では、王皇后と蕭淑妃(しょうしゅくひ)が権力争いを繰り広げていました。王皇后は、蕭淑妃を遠ざけるために武則天を入宮させたと言われています。しかし武則天は、蕭淑妃を追い落とすだけでなく、味方であった王皇后までも蹴落として皇后の座を奪い取ろうと画策します。それは、王皇后が武則天の生まれたばかりの娘を見ようと、彼女の元にやってきた時のこと。皇后が去った直後、武則天は自分の娘をくびり殺し、それが皇后の仕業であるように仕立て上げます。これによって王皇后は廃位され、彼女は皇后の地位を手にすることに成功しました。

西太后(せいたいごう) 1835~1908

最後にご紹介するのは、中国最後の王朝・清の皇帝、咸豊帝(かんぽうてい)の妃である西太后です。映画やドラマでは、嫉妬深く残忍で権力欲の深い女性として描かれることが多く、特に、ライバルだった麗妃の手足を切り落とし、酒甕に入れて飼っていたというエピソードは有名です。しかし、これらは完全なフィクションで、実際の西太后は弱者に優しく、おおらかな女性だったと言われています。事実、皇后の座をめぐって争ったライバルの側妾たちは、咸豊帝の死後も宮中で寿命をまっとうしています。彼女が悪女と呼ばれるのは、前漢の呂后(りょこう)や唐の武則天のエピソードが混同してしまっているところが大きいといえるでしょう。
ちなみに、西太后没後の清王朝については、「末代皇妃 -紫禁城の落日-」にて詳しく描かれています。


一般に歴史ドラマというと、男たちが入り乱れて戦う大規模な合戦シーンにばかり目が行ってしまいがちです。ですが、こうして各時代の宮廷事情を見比べてみると、女たちの権力争いも相当凄まじく、見応え十分であることを改めて思い知らされました。男だらけのむさ苦しいドラマに胸焼け気味の方は、可憐な美女たちが競い合う「クィーンズ -長安、後宮の乱-」をお楽しみになられてはいかがでしょう?